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2009年5月29日 (金)

分析家の独り事 204 (今を生きる:その2)

自分のことを振り返って、今まで生きたなかでいくつも悔いることがあった。

例えば、中学・高校の部活動でバスケットボールをしてきた。

中学で全国大会に行き、高校ではインターハイにも出た。

大学は体育大学へ行って、将来は中学か高校で体育の教師をしながら、またバスケを教えたいと思っていた。

ところが、高校の練習でしぼられ、この上また大学で4年間体がもつだろうかと思い始め、ギリギリになって進路を変更した。

結局、文系の大学でまた4年間バスケをすることになった。

しかしここでは、コーチに「おまえの好きなようにやれ」と言われ、バスケを楽しめたときではあった。

大学1年のときは関西リーグ4部だったが、3年・4年のときには、2部で1位となり、1部リーグで試合をした。

1部リーグにいた薫英短大のバスケ部がよくうちの大学に合宿に来て、そこの監督はよく知っていた。

大学を卒業して大阪でOLをし、実家のある滋賀県のクラブチームに入ってまたバスケを楽しんでいた。

OL1年目の夏頃だっただろうか、その頃まだバブルがはじける前の好景気で、三洋電機貿易(株)にバスケットボールの実業団チームができることになった。

そこの監督に薫英短大の監督がなるということで、私はそこに誘われた。

年齢も私が一番上ということで、キャプテンとしてチームをまとめる役をしてほしいと言われた。

普通、男子は大学を出てからでも実業団に入るが、女子は高校卒業して実業団でプレーし、24歳くらいで引退すると聞いていた。

私は選手としてピークを過ぎる23歳からはじめる事になる。

また、自分はチームをまとめるキャプテンとしての器があるだろうかとも思った。

親からは(親たちの都合で)、クリスマス・ケーキと同じで、25を過ぎたらもう遅い、売れない、早く結婚してくれと常に言われていた。

一度は三洋電機貿易に行くと返事をしたものの、自分の体力、能力、気力への自信のなさや、親のプレッシャーに負け、結局は辞退してしまった。

それから25歳でお見合い結婚をした後も、あの時バスケの道を選択していたなら、また違った人生があったはず。

なぜあのときやめてしまったのかと後悔した。

私も『たられば人生』を生きていた。

過去を悔いるということは、今に納得していない、楽しめてない、好きな事をできていない、幸せを感じられていないからだと思った。

今の自分が幸せであれば過去がどうであれ、今を楽しみ活き活きといられるはず。

現実が辛くなると、あのときバスケをしていたら・・・が出てきて、ああなっていたかも、こうなっていたかもと想像する。

しかしそれは所詮想像の世界であり現実ではなく、虚しいだけで終わる。

過去に囚われ、過去に生きていると、現実への適応や問題解決に取り組めない。

あの頃の脆弱な自我のまま実業団でバスケをしても、自分が納得行くような生き方が出来たかはわからない。

遠回りをしたかもしれないが、今はこの道が自分にとって最良の道だったと思う。

今私は好きな事をして、生きる意味・目標があり、遅ればせながら自立心を持てたことが自信や有力感となり、いつの間にかあのときバスケをしていたいら・・・とは思わなくなっている。

今の自分としてバスケを楽しみ、50歳を越えた今でも、まだ上手くなりたいと思えていることが「やるなぁ、私」と思う。

この前の日曜日、自分の娘より若い高校生と練習試合をした。

体力の衰えが悲しいが(苦笑)

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