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2009年5月29日 (金)

分析家の独言 206 (今を生きる:その3)

フロイトが「否定」と題する論文のなかで、

「・・・分析を受けている患者が、『そんなことを考えたことはありません』とか、『そういうことは考えたことがありません』というような言い回しで分析に反応を示すときほど、無意識的なものの見事な発見を証明するものはない」といっている。

「考えた事もない」とは、考える対象としてクライアントはそれ知っていたのではないか、あえてそのことを不問にしていたということ、考えないようにしていたということである。

その事を考えないということで、否定してきた。

クライアントは考えようとしない。

それは現実直視、直面を避けているからである。

考えなければ未来がどうなるか予想しなくていいし、不安にならなくていい。

未来の展望の不安を防衛するためには考えないことなのだ。

考えなければ過去の悔やみも発生しない。

あのときああすればよかった、こうすればよかったという過去の悔やみからも、未来の不安のどちらからも逃れ、安全なところにいるには考えない事。

この防衛が唯一の事となる。

考えない事でえられたのは、安全と安心。

ところがうしなうものがある、それが今。

考える、思考するとは今する事。

考えない人たちには今という時間がない。

だから生きている実感がなくなる。

あるのは過去と未来。

時勢を区切る今がなければ、過去も未来も同じ。

未来と過去の区別がなければ未来も過去になる。

過去にあるのは、絶対に書き換えられないという事実。

それを未来に持ってくれば、未来も書き換えられない、すなわち、未来はもうすでに決まっているということになる。

すると何かをやる意味がない、判断する意味もない。

「未来は決まっていない、自分で好きなように描く」、といえる人は、過去・今・未来の三つの時勢の区切りがあり、時間機能が正常に働いているからるからそう言える。

今を抜いてしまえば過去も未来も一つ。

過去はすでに決まっている事、ということは未来も同じ性質を帯びる。

決まっている未来に対して何か意欲が出るだろうか。

未来を書き直しできないとなれば、その人にとって生きる意味はない、つまらないものとなる。

過去と未来が折り重なっている、だから「考えたこともない」=考えないようにしている。

その事については考えたこともないと、しっかり封印し、しまわれてある。

だから分析は無意識の再認である。再び見いだすこと、認めること。

それと知っていなければ隠しようがない。

知っているから、それについて考えてこなかったのである。 

分析において、その封印された無意識に光を当て、意識化する。

すると当然、今という時間ができ、未来は決まったものではなく、希望や理想を持って取り組める意味のあるものとなる。

こうして人は今を生き事が出来る、生き返る事が出来る。

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