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2009年5月29日 (金)

分析家の独り言 213 (母を超え、更に進む私の人生)

数年前になるだろうか。

娘が投げた鍵が、書院作りの床の間のすりガラスに当たり割れた。

確か寒い時期だったの、すぐにもガラスを入れないと、それでなくても隙間風の入る日本家屋であるため寒かった。

当時娘は社会人だった。

娘が投げた鍵が当たり割れたので、ガラス代は払ってくれるのかなと思っていた。

しかし、いっこうに払ってくれる様子がない。

こちらから請求しようかとも思ったが、娘が言い出さない限り、こちらからは何も言うまいと決めた。

そのことを、実家の母に何気なく話した。

母は、「何でガラスを割った本人に払わせないのか」と言った。

私は、「払う気があれば自分から言ってくる。言わないということは払う意思がないということだから、私が払っておけばいい。それだけのこと」と答えた。

そのとき母から出た言葉に私は驚いた。

「優しいお母さんやな。私の母もそんな母だったらよかったのに」と。

母の口から、母の母(私からいう祖母)は恐い人だったと聞いていた。

この母の言葉を聴いた瞬間、私は母を確かに超えたと思った。

と同時に、母もまた傷ついて育ったことが様々あったのだと。

子どもころはいろんな意味で、母親は大きな存在であった。

普通女児は自分の母のような女性に、母親になりたいと思い、母に同一化し、真似ていくのだが、残念ながら私は、母のような母にはなりたくないと思って育った。

その母を確かに超えたと思えたとき、これでマイナスの世代連鎖を一つ切れたと感じた。

母を超えるだけではまだまだ、真の母性を持った人間になること。

まだ私の無意識のなかに、母の亡霊が巣を作っている部分があるだろう。

そこに徹底的に光を当て、母の呪縛から解き放たれることが、私が私を生きることになる。

インテグレーター養成講座のテキストの一説に、「人は言語により親の信念や行動を引き継いでいく。それに対して何の疑問のなく行動する限りにおいて、それは催眠にかかったか暗示に基づいた行動になってしまう。すなわち暗示は、信念や行動に対する申し出を完全な自己決定が不在のまま受け入れることである。」とある。

この言葉が身にしみる。

私は私の意志と主体性で、私の人生を生き抜こう。

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