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2009年6月 3日 (水)

分析家の独り言(笑えなかった私)

テレビを見ていて、「お母さんって、お笑い見て笑うんや」と娘が言ったことがあった。

「ん?どういうこと」と聞くと、娘いわく、以前、私はお笑いなんか見ませんって感じで、家族が笑ってても一人さめていたと言う。

お笑い全部が嫌いで見ないわけではない。

漫才やお笑いのトークショーのようなものは好きだが、どうしてもダメなものがあった。

それは『志村けんのバカ殿様』の類。

あの中で、布団が水浸しになったり、着物が汚れたり、着物のまま池に入っていったり・・・そういうシーンが私には不快感となる。

あれを笑い、ジョーク、ギャグとして見られないのである。

あんなに布団や着物がぬれて汚れて、その後どうするのだろう、スタッフが片付けるのだろうが、大変だろうなと思う。

そんなことを思いながら見ているのだからとても笑えない。

さらに、娘が小学生と中学生の頃だったか、上の娘が友達と見に行って面白かったからもう一度見たいと言って、家族でミスター・ビーンの映画を見に行った。

題名は忘れたが、ビーンが美術館の警備員で、大事な絵の前でくしゃみをし鼻水が絵に付いてしまい、それを拭き取ろうとするとますます絵がボロボロになっていくというお話。

周りは皆ドカンドカン笑う、私はどんどん不快感が増し気分が悪くなり、劇場から出て行きたくなった。

もし私が映画の中のビーンだったら、こんなに失敗したら、こっぴどく親に怒られる。

先程のお笑い番組でさえ、布団や着物をぬらしたり汚したら、これまたどんなに責められ怒られることかと、そういう視点と思いで見てしまう。

よほど私は育ってくる過程で怒られてきたのだろう。

祖父母からも父・母からも。

しかも私は誰からもかばってもらったことはおそらく一度もない。

具体的に思い出せない無いこともあるが、自分がひっかかるところから予測がつく。

そして、何で皆が笑うことが、私には不快感となって笑えないのかがよくわかる。

そんな私は小さい頃から、人が恐くてたまらなかった。

人は自分を怒ってくるもの、攻撃するものと私の無意識に書き込まれていただろう。

振り返れば、それでも何とかひきこもらずに、人の中でかろうじて生きてきたのが不思議なくらい。

失敗を責められ怒られ、親の言うことを聞かなければまた怒られ、見捨てられないように必死に親にあわせた子ども時代。

そうするために、私は私自身を捨てていった、自分を殺して生きた。

そして親のロボットとなった。

そんな惨めで悲しく無力な自分を、分析を通して見続け、知った。

そんな自分をしっかり意識化・言語化して受け入れたところから、私は私を取り戻していった。

http://lacan-msl.com/contents.htmlラカン精神科学研究所のホームページ

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