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2009年10月13日 (火)

分析家の独り言(分離不安、葛藤を乗り越えて自立へ)

10月の連休中に実家の地域のお祭りがあった。

親戚の人たちが集まる。

その席で皆が話している中、母が私のことを「この子は、そこまでせんでもいいやろと私が思うくらい、娘らの言うことをきいてる」

「私がこの子を育てるとき、あれダメ、これダメを切ってきたから・・・」と言った。

私は本当にこの人(母)わかって言ってるのかと思った。

少しは自分のしたこを反省したのか?

一方では相変わらず私に「娘をもっと躾けないといけない」とか、「手伝わして教えておけ」だのと言っている。

どれが本当の母なのか。

いずれにしても、私は私をしっかり持って、この考え方でこうするというものを持っていないと親に振り回される。

子ども時代には親や大人は絶対で正しいと思ってきた。

親もまた、自分たちの言うことは正しいから言うことを聞いておけばいいんだと、あるゆる場面で子どもである私に言ってきた。

それを途中まで信じてきたが、はたと自分を振り返ったとき、それは違っていた。

親の言う通りしていれば間違いは無い、幸せになれると信じ込まされてきたが、決して私は幸せではなかった。

これは大変なことだと気がつけたのは30歳半ばを過ぎていた。

ならばなぜ、親はそんなにも支配し、自分達の言うことを聞かせたかったのだろう。

もちろん親たち自身がその様に育てられたのではあるが、それくらい子どもを従わせたいというのは分離不安であろう。

自分と同じ考え、自分と同じ行動をとることを強要する、それは一体化を望んでいる姿。

いくら自分の子どもであっても、別の個体であり別人格であると認識していれば、親である自分はこう思い、考え、こうだったが、子どもはどうかわからないというところに立てる。

ところが、よく聞くのは、自分がこの学校に行ってよかったから子どもにも行かせたかったとか、親の職業を継がせたいとか・・・ という話である。

人間は親と分離していくことが一つの大きなテーマである。

自分は自分として一人で立っていられる(=自立)ということは、簡単なようで難しいことだった。

親が自立していなければ、子どもを取り込み、子どもの自立を無意識に阻んでしまう。

いつまでも自分のそばに子どもを置いておきたい。

子どもはいつまでも自分の足で自分の好きなところへ歩いて行くこともできない。

何もしないで、親の自我を越える自我を子どもは持てない。

真の自立とは、親が嫌だから、気にくわないから距離をとっている、会っていないということは違う。

親への愛と憎しみの葛藤をいかに克服しているかである。

今一度、自分が親からどれだけ自立しているかを見直してみてはどうか。

自分への問いかけでもある。

子どもを呑み込もうとする親の過剰な愛情と、してもらえなかったことへの執着と恨み憎しみの葛藤が不安と緊張を呼び起こす、自分を苛立たせる。

一般には、そんなことにも気付かず生き辛を感じていることもあるだろう。

自分と向き合い、自分を知れば自立に向かい幸せを感じられる。

その一つの方法が分析であった。

http://lacan-msl.com/contents.htmlラカン精神科学研究所のホームページ

http://mama.lacan-msl.com/ オールOK!子育て法のページ

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