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2009年12月28日 (月)

分析家の独り言(自分を振り返って1:対人恐怖だった私)

この世に生まれたばかりの赤ちゃんに書き込まれていくのは、その母親の情報、自我である。

すると、この母親のなかにどういったものがあるのかが問題となる。

例えば母が、人を恐がる=対人恐怖症であったとすると、我が子も一人の対象であるため、この子を恐れる。

対象と関わるときの基本的姿勢は、恐い恐れるとなり、当然人との交流を避ける。

インテグレーター養成講座のテキストの「自己愛」を読み返し、ふと思い出し考えた。

私はギリギリ社会適応してきたが、基本的には対人恐怖だったなぁと。

学生時代は授業で先生に当てられないように願いながら学校生活を送っていた。

人前で話すことは大の苦手だったし、友達も少ない方だったと思う。

中学から部活をしていたので、その仲間はいたがそれが友達といえるものだったかは今となれば疑問である。

ただ同じ部活での時間を過ごし、バスケをそれなりに楽しんだが、私は本心を語ることはなかった。

自分が抱えているしんどさは、同じ世代のこの人たちにはわかるまいと決めていた。

家で親に「ああしなさい、こうしなさい」「それをしてはいけない」と縛られ、したくもない宗教を強要され、いかにして家に居ないようにするかを考えていた。

登校拒否ならぬ帰宅拒否か(苦笑)。

その逃げ場が部活だった。

小さい頃から、度々ではないにしろ叩かれることもあった。

育つ過程で「人とは関わらないがよい」、「人は恐いもの」と学習した。

私にとってがんじがらめの家から出られた大学時代があったことは大きかった。

この時期になってやっと、友達と呼べる人たちができた。

それでも、それまで親に監視され、命令指示されてきたことは私の中に居座り続け、何かをしようとするとき、心の中に住み着いた両親にいつも見張られている感じが常にあった。

それと戦いながら、時には私が勝利し、また時には親に負け、一応の自由の中4年間を過ごした。

そのまま家に戻らず就職でもすればよかったのだが、親は大学を卒業したら私は家に帰るものと決めており、私はそれに逆らうこともできず帰るしかなかった。

まだ、自分の力で生活していくという自立心は私には育っていなかった。

親に呑み込まれ、そこから脱出するほどのエネルギーと自我は、大学時代の4年間では取り戻すこともつくることも出来なかった。

あの頃に分析と惟能創理氏に出会えていれば・・・ 私のその後も続く苦悩は随分軽減され、全く違った道が開けていただろうにと思う。

実際に出会えたのはそれから14年も後のことになる。

分析を受け、親のロボットだった自分を自覚し、自分を取り戻すために10年以上の時間がかかった。

それでもあのまま自分を持たずに、しかし持っているという錯覚の中でもがき苦しみ続けたかと思うとゾッとする。

あるクライアントは、「おまけの人生、二度目の人生」と言ったが、私にとっても今が「生きなおしの人生、取り返しの人生」である。

「自分が望んでもいないのにこれほどの苦悩を味あわなければならないのは理不尽だ」

だから私は、「自分の人生をこのままでは終われない」と思ってきた。

「いくつになっても生き直せるんですね」と言ったクライアントの言葉が心にしみる。

<a href="http://lacan-msl.com/contents.html" accesskey="1">ラカン精神科学研究所のホームページ<a/>

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