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2009年12月14日 (月)

分析家の独り言(後悔のない生き方を)

親は「子どものために良かれ」と思い様々な事を言う。
日常の些細な事から、進路や生き方についてまで…。
親自身が生きて来た過程でそれは良かったかもしれないが、その事がそのまま子どもに当てはまるとは限らない。
だから、子どもに話す時は慎重に言葉を選んで話さないといけない。
親は無意識に子どもを自分の思うように動かしたいと思っている。
そこには親の"分離不安"がある。
また、自分の親と精神的に切れていない為、自分の子どもとも適切な距離がとれない。
日々クライアントの分析をして感じる事がある。
親は子どもに「幾つかの選択肢を与えた」様に見せかけて、実は子どもが「親の選んで欲しい道」を選ぶしかないようにもっていく。
まだ未熟で人生経験も少ない子どもには、その親の"罠"を見抜くことはできない。
そうして子どもは親の敷いたレールの上を歩くしかなくなる、歩かされる。
分析を進めていくと、その事にクライアントは自分で気付いていく。
また、子どもに「失敗して欲しくない」と、親は先々を心配し子どもが聞いてもいないことを先走って言ったりする。
あるクライアントが言った。「転ばぬ先の杖はいらないとわかりました」…と。
その通り、よく気がつかれたと思う。
失敗の無い人生などありえない。
人は失敗するから反省して、次は「こうしよう」「ああしよう」と考え、工夫と努力を重ね達成感を得ていく。
転ばぬ先の杖=過保護過干渉という事であり、それは、その子どもの可能性と能力を親が自ら奪い取ってしまっている。
私事だが、私は「石橋を叩いても渡らない」性格だった。
慎重にも慎重を期し失敗の無いようにと、育つ過程で親からのメッセージを受け取った結果である。
慎重すぎると「新しい事に挑戦する」とか「変化」を好まない人間になる。
生きていく事は選択の連続である。
常に右か左か、するかしないか、選ばなければならないその時、できるだけリスクの少ない無難な方を選ぶ事になる。
生きていく中では一か八か勝負に出なければならない時もある。
それがこれまでの自分から脱皮して、新しい自分に生まれ変わる機会(チャンス)になるのだ。
よくよく考えれば、私は慎重というよりは臆病であった。
あの時自分を信じて、例え失敗したとしても自分のやりたいことに挑戦すればよかったと思うことが幾つかある。 
その後悔があり、私は"たられば人生"を生きていた。
「もしあの時こうだったら、こうしていれば私の人生はもっと違ったものになっていたはずなのに」と。
分析により自分を見つめ知っていくと、あの時の臆病な私にはその選択しかできなかったのだから仕方がないと納得した。
しかし、今からは臆病な無難なだけの生き方はしない。
新しいことに挑戦し続けていく。

http://lacan-msl.com/contents.htmlラカン精神科学研究所のホームページ

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