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2010年3月27日 (土)

金谷氏今月のメッセージ (平成22年3月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

テーマ 女性の権利

 現在、日本の法律は男女同権平等を明記しており作ったのは日本人ではなくアメリカ人でそれも弱冠22歳の女性であった。

その人はベアテ・シロタ・ゴードンさんと言い1923年(大正12年)オーストリアウィーンに生まれ現在86歳の女性である。

 父は天才ピアニスト・レオ・シロタ氏(両親共にウクライナ人)で作曲家山田耕筰氏にピアノの腕を買われ東京音楽学校(現東京芸術大学)に特別講師として招かれ、一家で日本に移住する事になった。

ベアテさんは日本に来て納得出来なかった事がある。一つは許嫁制度、親が勝手に知らない者同士を結婚させる事、もう一つは男女が外を歩く時、男性が前で女性が後ろを歩く事、欧米では決してありえない事だったから。

 彼女は日本にきてピアノ・英語・ランス語・モダンダンス・バレー等を習ったとりわけダンスには力を入れプロのダンサーになりたいと思っていた。しかしベアテさんに重大な転機が訪れる母の言葉があった。

「あなたは確かに表現力は上達したわでも決して一流のダンサーにはなれないわ」芸術に生きる事への厳しさ、天分が無いのにその道に進むつらさを母は語った。

そして続けてこう言った。「あなたにはきっと語学の才能があるわ。」その通りで15歳にしてドイツ語・ロシア語・日本語・英語・フランス語と五カ国語を修得していた。

 さらに語学に磨きをかける為アメリカへ語学留学に単身で渡った。サンフランシスコのミルズカレッジに入学、当時では珍しい女性の学長でこの人から女性の自立・女性の社会進出という考えに影響を受けた。

そのベアテさんに突然悲劇が襲う。2年後の1941年(昭和16年12月8日)日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が勃発した。しばらくすると両親からの連絡も送金も途絶えてしまった。

 しかし、ベアテさんは一人で頑張り1943年昭和18年大学を卒業し1945年(昭和20年)アメリカ国籍を取得ニューヨークに移住した。そして、スペイン語も習得し計6カ国語をマスターし、そのまま語学力を買われタイム社外国部入社した。

だがここで女性に対して差別を受ける。女性はどうしても記者にはなれない、エディター(編集者)にはなれなかった。リサーチだけで男性のアシスタントしか出来ない、でも、両親の情報が入るかもしれないと思い我慢し務めた。1945(昭和20年)8月15日終戦を迎えた。2ヶ月後日本に居る記者から両親は健在だと知らせてくれた。

しかし一般人は日本に行くことが許されなかった。そこでベアテさんは一計を案じGHQに職を求めた。

ここでも語学力を買われ日本に行く許可が下り1945年(昭和20年)12月24日5年ぶりに日本に帰る事が出来た。両親と再会しベアテさんは民政局に勤務した。局長はホイットニー准将・マッカーサー元帥の分身とまで言われた人物の局長代理ケーディス大佐(法律家)の下で働く事になった。

 1946年(昭和21年)2月4日ホイットニー准将の命で突然20名が集められ「これから民政局は憲法草案を書くと言う作業をする事になる」日本国民の為に新憲法を作ることになったベアテさんは図書館に行きドイツワイマール憲法・フランスの憲法・スカンディナビアの憲法・ソ連の憲法等を集め研究した。そして人権に関するグループに配属された。

そこでケーディス大佐に「あなたは女性だから女性の権利を書いたらどうですか」と言われ、人はどうすれば幸せになるのか?日本の女性に何が必要なのかと考えた。そして12条項を書きあげた。

 1946年(昭和21年)2月8日運営委員会との会合が始まった。しかしほとんどカットされてしまう。女性を思って頑張っても男性の一言で覆されてしまう現実、その中でも結婚と家族が残った。それは次のものである。

≪第22条・結婚はお互いの合意のみに基づいて成立し男女は平等な権利を持つ。)3月4日、日本政府との話し合いがはじまった。に本政府が作ったものは明治憲法と変わりなく軍国主義が色濃く残るものであった。ベアテさんは通訳として同席した。

 日本政府はベアテさんの作ったものに対し「日本には女性が男性と同じ権利を持つという土壌はない」と主張してきたがベアテさんは女性の権利を主張し日本政府を納得させた。

22歳の一人のアメリカ人女性が日本の女性の権利を守り日本の憲法を変えた。そのお陰でいま日本の女性は社会に進出出来てると言っても過言ではない。

 ベアテさんがこんな大事業が成し得たのは母の素晴らしいアドバイスとベアテさんの才能を的確に見抜いたからであろう。それには子供に何でも経験させる事、それらの中から才能を見抜く事である。親の主観や願望で子供の人生を決めてはいけないと言う事をベアテさんのお母さんから学んだ。

「母なるものとは、積極的献身的で思慮深くかつ連綿とした優しさとでもいうべき風土の中で相手に向けられた配慮全体と称すべきもの」である。

                               インテグレーター 真理攫取

http://www.k5.dion.ne.jp/~kanaya/金谷精神療法研究所

http://lacan-msl.com/contents.htmlラカン精神科学研究所のホームページ

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