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2010年5月 3日 (月)

分析家の独り言 348 (意味の病 No,2)

クライアントは、いや多くの人は意味の病のかたまりである。

秋葉原連続殺傷事件の加藤智大被告が、職場に行って自分のロッカーに作業着であるつなぎがなかった事を、「俺に(会社を)辞めろってか」と意味づけたように。

http://lacan-msl.com/diary/2008/06/_112.html 天海有輝のセラピー日記 分析家の独り言 112 (秋葉原通り魔事件)
http://lacan-msl.com/akihabara/ 月刊精神分析2009年9月号 秋葉原無差別殺人事件の 
http://lacan-msl.com/akihabara/#785 6、(B)促進要因 ③破滅的な喪失

分析でも、クライアントの語りを聴きながら、なぜクライアントはこういう意味をつけるのかを探っていく。

これがシニフィアンの分析である。

否定によって最初にしまわれ原抑圧された言語、例えば「わたしは見捨てられた子」「嫌われた子」と意味付け、このたった一個の文字「嫌」(嫌い)から全ては始まる。

何でも、どんなことでも自分は嫌われていると思ってしまい、様々な現象に対し、「自分は嫌われている」と意味付け、そう見えてしまう。

本来自分は「好かれる」はずだったのに、否定されて「嫌われる」に書き換えられてしまった。

また例えば、触れられることを求めたが、それが叶わず放っておかれたり、抱っこされなかった。

そして「触れられることは心地よい」が否定された。

それにより触れられることは「心地よい」が「不快」に書き換えられ、触れられると気持ち悪いになる。

本当は自分が一番欲望していることだが気持ち悪い。

この人にとって触れられると気持ち悪いが、触れられる事が一番欠如していて求めている事である、というように矛盾している。

実際に触れられると「気持ち悪い」という人がいる。

この人は、最も触れられることを求めている人だと言える。

否定されているにも関わらず、そこに否定されているものは何かを見出して、クライアントの無意識をクライアントと共に見ていく。

当然クライアントは抵抗する。

意識とは真逆の無意識を見ても受け入れられず、認めたくない。

それに付き合いながら、クライアントが受け入れていくのを待つ。

人間は意味を見ている。

それも自分で勝手に意味づけた世界を。

意味が作った病の中で、人は幻想を生きている。

何も現実を見てはいない。

自分の想像的言語で編み出した世界を見ている。

これを投影という。

その人の心にあるものが外に投影され、現象は全てその人の心の有り様を映し出す。

だから、「嫌われている」という意味・心の有り様が外に映し出され、全ての人・事が自分を嫌っているように見える。

外に出れば自分を言葉で力で攻撃してくると恐れている人は、自分が人をそのように攻撃したい。

それは自分が攻撃されて来たために報復として防衛手段として攻撃したい欲望、その無意識がある。

鏡像的に主体が入れ替われば、「(攻撃)する」が「される」になるだけで、その意味しか見いだせない。

自分で「人が自分を攻撃してくると思うのは、妄想ですね」と言いながらそこから離れられない。

そういう意味付けしか出来ない悲しさがクライアントにある。

その意味付けから解放し、現実を見るために分析はある。

http://lacan-msl.com/contents.htmlラカン精神科学研究所のホームページ

http://lacan-msl.com/fukuoka/ラカン精神科学研究所 福岡支所のページ

http://lacan-msl.com/marriage/ 婚活相談と結婚生活 月刊 精神分析 2010年05月号

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