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2012年11月26日 (月)

金谷氏今月のメッセージ (平成24年11月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。
テーマ「日本語」
 言葉は人を理解する為に必要、そして自らの思いを伝える為にも言葉は必要なもの。
人と交流するためのコミュニケーションには、絶対必要なもの。
しかしそうであるならば、いくら立派な事を考えたり、思ったりしても伝える時に間違った言語を使ったら、思考そのものが歪んでしまい、お互いが理解できず誤解したままになってしまう。
 文化庁では平成7年(1995)から「国語に関する世論調査」なるものを立ち上げ、国語に関しての日本人の意識や理解度・慣用句や言葉の使い方についてを調査している。
平成23年の最新調査では、自分自身の言葉の使い方について「気を使っている」と言う人が多く、77.9%も居る事がわかった。
但し、気を使っている人が多い一方で、本来の意味・使い方とは違っているのに「正しい」と認識している人も多い。
基本的な慣用句の本来の意味を正しく把握しないで、使ってしまっているのである。
誰かが言ってた慣用句を見聞きして、なんとなくその場で感じたイメージや断片的な知識などで判断し納得したものを、次に自分が使うとき本来の言い方でない使い方をしてしまったものが、一般的に広がってしまい、そのまま定着したものと思われる。
 例えば「役不足」と言う慣用句がある。
世間一般的には、「自分の力量に対して役目が重過ぎること」と理解している方も多いが、本来の意味は「本人の力量に対して役目が軽すぎること」が正しい意味である。
こういうものが非常に多い。又、「その発言は流れに棹差すものだ」
これを「傾向に逆らって、勢いを失わせる行為をすること」または「傾向に乗って勢いを増す行為をすること」等、ほとんどの人が前者だと思っているだろう。
実は後者が本来の意味で、現状の勢いを利用し、物事を思い通りに進めると言う意味で全く逆である。
こういう風に思い違いをして記憶している人が多い。
 どれだけのものを意味をまちがえて覚えているのか、もう少し例をあげてみましょう。
1例 姑息な手段 ①「一時しのぎ」 ②「卑怯な」
 ②だと思っている人が多数だが、正解は①である。
「姑」はしばらくの意、「息」は休むの意。だから一時しのぎ“である。
2例 檄を飛ばす ①自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を 求める事 ②元気の無いものに刺激を与えて活気付ける事。
これは①が正解である。
3例 他山の石 ①他人の謝った言行も自分の行いの参考になる。    ②他人の良い言行は自分の行いの手本となる。正解は①である。
よその山から出た質の悪い石でも、玉を磨くのには役立つ事から出来た言葉である。
4例 破天荒 ①誰も成しえなかった事をすること②豪快で大胆な様子。中国の古事から生まれた言葉で①が正解である。
 ②が正解と思っている人が多数いる。
5例 号泣する ①大声をあげて泣く②激しく泣く。
 号泣の「号」には大声をあげると言う意味が含まれるので①が正解。
6例 話のさわりだけ聞かせる ①話などの要点の事②話などの最初の部分のこと。
義太夫節野中で一番聞き所が「さわり」で、そこから転じて話などの肝心な部分の意味①が正解です。
7例 憮然として立ち去った ①失望してぼんやりしている様子
   ②腹を立てている様子。
憮然とは失望落胆しているさまの事で正解は①.
「ぶぜん」というものの響きから、不機嫌な様子をイメージしてまちがっている。
 この様に日頃から何気なしに使って、間違いに気ずかず会話をしてしまい、なんとなく伝わっている。そうだと思い込んでしまっている。
例えば「枯れ木も山の賑わい」と言う言葉も、「つまらないものでも無いよりはましだ」が正しいのに、人が集まれば賑やかになるという意味によく使われてしまう。
私自身も以前、することや話題が無くなってしまい、時間を持て余す事を「間が持たない」と使っていたが、「間が持てない」が正しい日本語だと解り修正した事がある。
 本来コミュニケーションを取ることは、お互いを理解する為のものであるはず、がほとんどの人が「了解」を理解していると思い込んでいる。
理解とは物事のしくみや状況、またその意味するところなどを論理によって判断し解る事である。
了解したは事情を思いやって納得する事、これは論理的と思い込みの違いで、ほとんど好い加減に会話し処理している。
それをラカンは、人はそれぞれに自分の辞書を持っていいてそれにもとずいて解釈している為、会話が一致しない。故に全てのコミュニケーションは誤解であると言っている。
「何で言わないの?言ってくれないと解らないでしょ!」
「始めからそう言ってよ!」等とよく言う人がいるが、辞書を合わさずに何万遍言っても、永遠に通じ合う事は無い。辞書が違うのである。
人はそれぞれの辞書を理解し、確認しながら伝える努力をしなければコミュニケーションは出来ないのである。
 
 分析はまず、その人がどういう辞書を持って使っているか、と理解する事から始める。
その辞書が自ら作ったものではなく、親に因って作られたもので古い型の間違いだらけであると事、それを告げ知らせ真理の言語があると知って頂き、その言語の書き換えをする事こそが精神分析の役割である。
しかし、そこには間違った言語を刻み込まれたと言う悔しさの情動との戦いがある。
この戦いに打ち勝ち、真の言語に出会った時人は、安らぎ幸福に生きていけるのである。
それに日本語とは非常に上手く出来ている。
日本には昔短歌俳句を用い、情景や状況や人の心を短い言葉で言い表すことができていた。
武士等は死に際して「辞世」を詠み、自分の一生は何であったのかと表現もしている。
その中でも豊臣秀吉は、自分の一生を「露と落ち露と消しにし我が身かな、浪速の事も夢のまた夢」と、栄華の限りを尽くした大人物でも露と夢で表現した人間の一生の果敢無さが、良く伝わってくる。
これからも日本語のすばらしさを、分析を通じて真の日本語に出会いたいものである。
    拈湧 笑界・ねんゆ しょうかい
http://lacan-msl.com/contents.html ラカン精神科学研究所のホームページもご覧ください

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