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2013年10月14日 (月)

分析家の独り言468(孤独)

孤独とは自分の存在、自我を自分一人でしか感じられないこと。
この私の自我を他者が一緒に持ってくれたら、共有してくれたらどんなにいいだろうと思う。
そして自分ヘの関心があり、自分を承認され、尊重されることが大事。
これは理解に通じ、理解は愛になる。
しかし、誰にも関心を向けられないとは、私というものを共有してくれる人がいないということである。
何を言っても、叫んでも誰も見向きせず無視される状態とは自分の自我を自分一人で抱えること。
自分が思ったことを主体的に行動した、それを他者が共鳴し共感してくれることは、
自分の自我を一緒に持っくれることになる。
すると、私の存在が他者の中で生きられる。
自分が受け入れられ、考え方が承認される。
私が自分の中で生きると同時に、他者の中でも生きる。
これが共に生きるという感覚にもなる。
子ども時代には、その他者とは主に母、そして父である。
この母、父に関心を向けられず、まなざしも声もかけなかったなら、
子どもは何とかして親の関心を得たいと思うだろう。
突飛な行動に出たりし、目立とうとする。
それでも親の関心を引けなかったら、もっと関心を引けること、
例えば事故・病気・怪我で注意を引くか、
あきらめて大人しく親の思い通りになる子として生きていくか。
これは自我の抹殺である。
自分が他者(母)と向き合うとは、鏡の関係で自分が他者の中に映る。
他者は自分を映し出す鏡である。
ところが自分を受け入れられず、他者の中で生きられなければ、
自分という存在を映し出すことは出来ない。
他者という鏡に映らないということは、透明人間ということである。
透明人間は、自分で自分を語れない。
自分が何者かわからない。
1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生による連続殺傷事件。
酒鬼薔薇聖斗が神戸新聞社に送りつけた声明文を思い出す。
「透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。」
透明人間になってしまった、彼の悲痛な叫びが聞こえる。
彼の母が、そして父が、彼を正しく映す鏡になっていれば、
あそこまでの事件を起こすには至らなかったのではないか。
予防医学があるように、予防精神医学として精神分析が必要ではないか。
人間が人間として生きていられるのは、自分に関心を向け見てくれる人がいる、
鏡としての他者がいるからである。
鏡の反射とは言葉の反射、反応になる。
あたたかい言葉があれば人は孤独に陥らない。
孤立した人は自分が見えない、存在が曖昧で自分というものが何かわからない。
他者の中に自分が映り、他者が語ってくれることで自分は存在する。
子どもに関心を向けあったかく見守り、正確に子どもの言葉に応えてあげてください。
第二の酒鬼薔薇聖斗を出さないためにも。
                                 インテグレーター(精神分析家) 安朋一実
http://lacan-msl.com/ ラカン精神科学研究所のホームページ
http://mama.lacan-msl.com/ オールOK!子育て法
http://archive.mag2.com/0001106260/index.htmlラカン精神科学研究所メールマガジン

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