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2013年11月12日 (火)

分析家の独り言 476(自分と他者を分けるもの)

自分と他者をはっきり分けることは、当たり前のようで難しい。
自分と他者を分けるのは、知覚の差である。
暑い寒い、空腹と満腹、好き嫌い、全ての知覚に違いがある。
それを無視して、「お腹が減った」と子どもが訴えると、「今食べたでしょ」と親が言う。
反対に、子どもは「お腹いっぱい」と言っているのに、
「いや、足りない、もっと食べなさい」と言う。
「子どもの胃袋を親がもっているんですか」と聞きたくなる。
食べたいもの、食べる時間、量、好き嫌い、味、
それらを親が自分の感覚・知覚を子どもに押し付けていないだろうか。
親が子どもとしっかり分離していないと、
自分が空腹だから子どもも空腹のはずと思い込んでしまう。
親が美味しいと感じたものは、子どもも美味しいはずだと決めてしまう。
子どもが小さいほど自分の感覚・知覚を大事にされないと、
親が「美味しい」というのならそうしておこうとなる。
最初は空腹か満腹かを感じても、それを受け入れられ認められなければ、
自分で感じないようになるだろう。
また、子どもは自分の体感で服を選び出かけようとすると、
親が「そんな服では寒いからもっと着て行きなさい」と言う。
子どもが自分で感じたように感じてはいけないといっているのと同じである。
すると、身体の異常にも気付きにくくなり、病気に気付くことが遅れることになる。
子どもの感覚・知覚を無視することは、肉体の否定、個人として尊重がないということである。
肉体が否定されると、自体愛がなくなる。
当然その先の自己愛も欠損する。
自分の存在を「OK 」と肯定できなくなる。
人は育つ間に、どれだけ自分感覚・知覚を認められただろう。
「あなたが感じたように感じていいんですよ」と当たり前の事をクライアントに伝える。
自分の感覚・知覚を大事にされなかった人は、他者のそれも大事に出来ない。
この連鎖を止めて、自分と他者を分け、互いが尊重し合う ことを目指しましょう。
       インテグレーター(精神分析家) 安朋一実
http://lacan-msl.com/ ラカン精神科学研究所のホームページ
http://archive.mag2.com/0001106260/index.htmlラカン精神科学研究所メールマガジン

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