分析家の

2009年8月16日 (日)

分析家の独り言(電話セラピー)

精神分析は直接面談によって行うのが普通であるが、遠方であったり、何らかの事情で直接面談が難しい場合のは電話によるセラピー(分析)を行う。

ラカン精神科学研究所ホームページの予定表(Googleカレンダー)を見るとわかるように、最近電話セラピーが増えてきた。

一番最初は、元の吉川精神科学研究所のホームページ(http://www.geocities.co.jp/Beautycare/6953/)をみた関東方面の神経症に悩むクライアントからメールが来て、分析で治るだろうか、治るなら分析を受けたいということだった。

遠方であるためクライアントが京都へ来ることも、私が関東へ行くこともままならず電話でのセラピーとなった。

1年に1回は那須で行われる分析サミットに参加するため東京を経由して那須へ行くため、そのときはクライアントと時間を調整し直接面談による分析をしている。

今年も7月、このクライアントに会って分析をした。

こういう形で、滋賀や京都へは来られないクライアントからホームページを見たとメールや電話が入り、分析希望のクライアントが増えてきたのである。

中には、月1回福岡に出張するが毎週分析を希望されるので、もちろん福岡に行ったときは直接面談による分析をし、後を電話セラピーで埋めるという形をとるクライアントもいる。

直接面談による分析は顔を見て行うため、ダイレクトにクライアントやインテグレーター(分析者)である私の反応が行き交いする。

そこでしか感じとれない雰囲気もあり、直接面談がより良いとは言えるが、物理的に困難な場合には電話セラピーも有効な手段と考えている。

クライアントの近くに仲間のインテグレーターがいて、希望されるなら紹介している。

分析によって無意識を知り人生が変わり、活き活きと生きることを味わって欲しいと願う。

暗いトンネルから抜けると、昔の悩んでいた自分が思い出せないくらい変わっている。

もう過去にはいない、心も身体も開放され今の自分が楽しめる。

分析は万能ではないが、自分の人生を諦めずに取り組んだ人たちがこれからの人生を行きなおしていることも事実である。

http://lacan-msl.com/contents.htmlラカン精神科学研究所のホームページ

http://mama.lacan-msl.com/ オールOK!子育て法のページ

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2009年8月13日 (木)

分析家の独り言(自己分析による気付き)

分析家の独り言 (8月京都子育て相談室より:私のオールOK失敗談)を書き、気付いたことがあった。

なぜ私は娘にオールOKしきれなかったのか、なぜ自分の都合で仕事を優先してしまったのかを考えた。

娘に責められたとき浮かんだ「私が仕事をしなければ生活できないでしょ、それをあんたはわかっているの?」という想い。

私は娘を食べさせてやっている、養ってやっていると思っている。

意識上では、親が子どもを世話し、食べさせるのは当たり前と思いつつ、恩着せがましい気持ちがあるのではないか。

そしてハッとした。

それってもしかしたら、私が育ってくる間に嫌だ嫌だと思って来た私の親の意識と同じじゃないか。

もう忘れかけていたが、私の両親は事あるごとに、食べさせてやっている、学校へ行かせてやっていると恩きせがましい態度だった。

そして、親の言うことを聞かなければこの家には居られないと子ども心に思っていた。

そのために、無理やり親の信じる宗教をやらされた苦悩の日々。

自分でご飯を食べられない限り嫌でも親の言うことを聞くしかなかった。

それは脅しであり、それを否定した私が結局同じことを娘に思っていた、していた。

まだそこが払拭しきれてなかったかと愕然とした。

親の影響は大きく、恐い。

親が自分にした嫌なこと、間違いを、私は自分の子どもにはしまいと思いつつやってしまった、これが無意識であり、私のコンプレックスである。

それはクライアントを分析して、何度も出会い知っていたはずなのに、自分の事となると盲目になり、自分が見えなかった。

もう捨てよう。

恩着せがましい気持ち、食べさせてやっている、世話してやっている、あんた達のために働いているという想いは。

私がしたくて選んだ精神分析、そしてそれを仕事にしたのだから、誰かのためにやっているのではない。

安心と安全=安らぎの中で何かの時には守ってもらえるという安全感もなく暮らした時間が長かったために、私は精神のバランスを崩していった。

そのために心に傷も負い、それらを癒すのに時間がかかった。

しかし今の私は、自分で安心と安全もつくれる。

子ども時代に得られなかったものを、大人となった今の自分として置き換えたもので埋め合わせていける。

これが大人である。

これでいい。

苦労も辛さも自分の糧となり、自分の生きてきた道を肯定できる。

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2009年8月 3日 (月)

分析家の独り言(見捨てられ不安)

無力なゆえに、甘えと依存を充分経験するはずの子ども時代に、我々は親の言うことを聞かなければ親に見捨てられてしまう、見捨てられる不安に脅かされる。

その脅しを親は子どもに使い、子どもを支配する。

自分で自分の身の回りのことさえまだおぼつかず、親の世話が必要である子ども時代。

街でも見かけるが、子どもがぐずると平気で「勝手にしなさい」と子どもを置いてさっさと歩いて行ってしまう親がいる。

子どもは、置き去りにされたら生きてはいけないため泣きながら親の後を追う。

また親や家庭の事情で、保育園や祖父母・親戚に預けられるなどする。

その年齢が低いほど、心の負担も大きい。

見捨てられるかもしれない不安、恐怖、さみしさ、怒り様々な感情に押しつぶされそうになることもあるだろう。

人間の存在としては同等のはずが、養育する側とされる側に上下関係が生じる。

そんなに子どもに言うことをきかせたいのか。

子どもの上に立ちたいのか。

私も以前は子どもの上に立ちたかった。

子どもを自分の思う通りに動かしたかった。

そうならないと怒っていた。

なぜなら、自分もそうして育ったから、そうするものと思っていた、それ以外の方法を知らなかった。

ましてオールOなど・・・

親に反論すること、逆らうこと、言いたいことを言うことができない。

自分の感覚、考えを自分のものとして持つことさえも許されないことがある。

そんな中で子どもはどうやって自分を保つことができるだろう。

親である我々自身も傷付いているはずなのに、また同じように子どもを傷つけていく。

この連鎖に気付いて修正しなければ、不幸は連鎖し続け、最後に自己または他者を破壊するだろう。

そうして、悲惨な事件はこれからも多発する。

これをくい止めるのは、一人一人が自分を知り、無意識に気付いていくことである。

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2009年7月11日 (土)

分析家の独り言(子どもにオールOKすることは親が育つこと)

娘に「日傘が欲しいので買いにいく、一緒に来て」と言われ、仕事帰りに京都で待ち合わせて付き合った。

四条を回り、最後に立ち寄った京都伊勢丹で、やっと娘が気に入った日傘があった。

しかし困った。

折りたたみ式のは黒、そうでないほ方は紺色。

娘が使いやすいのは折りたたみ式ではない方だが、色は黒がいいと言う。

もう売れてしまって、これ以外にはない言われた。

そこで娘は悩み出した。

黒と紺の日傘を私に差させて見る。

今度は娘が自分で差して鏡に映して見る。

これを延々と繰り返す。

店員さんが入れ替わり立ち代り、「いかがですか」と聞きに来る。

そのうちに店員さんも来なくなった。

小一時間ほど迷っただろうか。

正直言えば、「どっちでもいいんじゃない」と思うが、それは絶対に口にはできない。

娘は真剣だから。

とにかく娘は迷いに迷い、それに付き合った結果、娘が使いやすいと思う折りたたみ式でない紺色の日傘を買い求めた。

帰ったらご飯の準備をしなければならないし、できれば早く切り上げたかったが、娘に付き合ってよかった。

家に帰って「付き合ってくれてありがとう。納得がいった」と娘が言った。

もし私がひと言でも要らないことを言って、娘が充分迷えず妥協することになっていたら、家に帰ってきてもまだ「あっちがよかったんじゃないか」と言っていただろうと思う。

クライアントの中にも、子どもと買い物にいくとどれを選ぶか決められず迷う、それに付き合うのがしんどい、嫌だという人がいる。

ああ、そのクライアントの気持ちわかる。

そこには、親である自分自身が、その親にこれほど付き合ってもらったことがない。

子どもである自分が親に付き合わされたことは山のようにあっても。

子どものためにお金を使い、子どものために自分の時間を使い、子どもが喜ぶ顔を我が喜びとし、幸せを感じられたとき、親もまた成長している。

そこに過去子ども時代に叶えられなかった欲望と、今目の前で満足した子ども=自分の二つを冷静にみている私がいる。

オールOKして子どもを育てることは、親が自分を育てることになる。

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2009年6月10日 (水)

分析家の独り言(両親の喧嘩は子どもを傷つける)

子どもは育ってくる家庭の中で、様々に傷ついている。

その中で、両親の喧嘩を見聞きすることが、後の子どもの人生に大きな影を落とす。

クライアントの中には、「自分の両親がいつも喧嘩していた」「父親はDV(ドメスティック・バイオレンス)だった」という話を少なからず聞く。

様々な状況の中で、包丁が飛ぶようながあったり、酒乱で暴れることも・・・ ドア一つ向こうの家の中では何が起こっているかわからない。

子どもにとって、父母は一番身近で、愛着をもつ愛すべき人達である。

その二人が、いがみ合い、喧嘩し、大声で罵倒しあう。

しかも暴力まで振るうことがある。

小さな子どもの心は恐怖と、悲しさ、さみしさ、心細さ等々で傷つく。

そうして喧嘩する両親を見て育った子どもは、自分が大きくなって結婚したら絶対喧嘩をしないで仲良くしようと決める。

しかし、本当仲の良い両親を見たことがないため、ただ相手を無条件に受け入れ、自分の意見は言わず相手に合わせているだけというのが関の山である。

上辺はいさかいがなく、平穏そうには見えるが、それが本当に仲の良いことかというと違う。

本来は、互いが言いたいこと言った上で、歩み寄り、合意点を探して、ことを進めていくことであろう。

その過程で、どれだけ自分を出して主張し、またどれだけ相手を尊重し譲ることができるか、これを程よく互いに学習していき、そこに親密さ、絆、信頼が形成され、仲のよい関係が自然とできていく。

またある人は、言葉を交わすから喧嘩になるのだと思い、何も話さないこと決めた。

結果、全く会話のない夫婦となった。

これでは、親密さも絆も信頼も育たない。

夫婦の間でそれが無ければ、子どもともそれを育てることは難しい。

人と人との関係をつくっていくコミュニケーション能力が問われる。

コミュニケーションには、相手の話を正確に聴くことと自分の思いを話し伝えること。

この基礎は、まず子ども時代に父母といかにこの学習を積み重ねられるか。

だから養育場面で、親は子どもの言うことをよく聴くこと。

そこに親や世間の価値観を入れず、正確に聴き取ること、これだけでもかなり難しい。

人は言葉によってつながっていく。

そのつながり方が、争い・対立・喧嘩か、友好的か、もしくはつながろうとしなければ会話もない。

言葉の使い方、会話の仕方から分析場面で学習してもらうことになる。

夫婦喧嘩は子どもの前で、聞こえるところでしないことである。

せめてこれくらいの配慮はあってしかるべきである。

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