分析家の独り言

2015年7月21日 (火)

分析家の独り言 686(投影2:人の好き嫌いは自分の性格の投影)

投影という防衛法によって、自分の無意識に抑圧したものが他者に投影されて、嫌だ、

嫌いだ、気になる、引っかかるということになります。

http://lacan-msl.com/diary3/2015/07/-6851.html 分析家の独り言685(投影1:自分の嫌っているものが他者の中に見える)を参照ください。


例えば、自分は人をまとめて引っ張っていくリーダーシップがあると自認しています。

相手にも自分と同じリーダーシップを見出し、自分と同じだと思います。

これを同一視といい、友達になれます。

今度は、相手に自分勝手なところがあり、自分にも自分勝手なところがあるとします。

自分勝手な自分は自認したくないので、無意識に抑圧して、自分にはないことにしています。

そのために自分は自分勝手ではなく、思いやりがあると思っています。

しかし無意識にある自分勝手な自分を相手に投影して見るため、

「何て自分勝手な人なんだ」と嫌います。

自分の中に「自分勝手」が無ければ、投影するものがないため「嫌い」とは思いません。


肯定的なものを相手の中に発見し同一視したものは「好き」、

否定的なものの同一視は「嫌い」という反応になります。

これは自分が見たくなくて抑圧しているものを相手が演じているからです。

自分の中にあるものは、無意識に相手の中に発見してしまいます。


者を好きになるのも嫌いになるのも、自分の性格の投影ということです。


私達は本当の意味で他者を、対象を、世界を見ているといえるでしょうか。

結局、自分を投影して好きだ・嫌いだ、良い・悪い、正しい・間違っていると言っている。

人は自分しか見ていない。

自分が基準で、人も自分と同じ考え感覚だと思い込んでいます。

自分を知って、自分の嫌っているもう一人の自分(例えばここで例に出した

自分勝手な自分)を認められれば、嫌いな人は少なくなっていくでしょう。


精神分析によって自分の無意識を知っていくと、

世界の見え方が変わって、引っかかることが少なくなっていきます。

それをクライアント達は、「生きやすくなった」と表現します。


私も随分生きやすくなりました。

 

 - インテグレーター養成講座1 自己防衛5《防衛行動》  より


インテグレーター(精神分析家) 登張豊実


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2014年9月10日 (水)

分析家の独り言 583(健康な自己愛をつくるオールOK)

 - 9月11日 インテグレーター養成講座1(自己愛論2自己愛人の構造)- によせて

子どもは身近な父や兄弟をモデルにして、「誰々のようになりたい」と思います。

この人達は、自分の知らないことを知っていて、自分を凌駕しています。

このモデルとなる人をそのまま取り入れて模倣し、子どもは自己イメージをつくります。

これを『理想自我』といいます。

例えば、兄がサッカーをしていると、弟である自分もサッカーをするとか、

姉のようになりたいと思った妹は、姉の行った学校、洋服、趣味など

あらゆることを真似します。

自分が何を目指し何をしたいかではなく、姉の後をなぞるだけになります。

これでは理想自我のままただなぞるだけなので、

目についた対象に同一化したがり、世間の流行、皆が持っているものに飛びつきます。

その対象を際限なく変えていくだけです。

理想自我をうまく分化、発展させ、父や兄弟以外の第三者に尊敬を抱けた場合は、

今度は『自我理想』に向かいます。

尊敬するその人自身にはなれないので、自分に最大限可能な目標に書き直します。

ここまでくると超自我が機能します。

もともと超自我はエスト撲滅するだけの機能ではなく、理想自我をうまく分化・

発展する時にも機能します。

かけ離れた理想を追い続け、もの真似するだけでは誇大自己であり、

理想自我に留まります。

現実に社会の中で理想とする自己に向かうには、超自我による現実吟味が必要です。

社会に適応しつつ現実吟味を受け、自我理想が自分の目指す目標になる。

そして、それに向かって努力し生きていけます。

この人はうつにはなりません。

理想自我の中に社会のルール・規範や本人の個性、才能、努力が取り込まれ、

再編成、再組織化されて自我理想になっていきます。

この過程で自分に出来ることと出来ないことがわかり、出来ないことは断念し、

再構成することになります。

また、社会のルールや仕組みにそって、才能をいかし努力した行動が認められ

「よくやったね」と褒められて自己愛になり、更に自我理想へ向かいます。

ただここで社会に適応することと欲望を断念することばかりを褒められると、

子どもは自らすすんで断念するようになっていきます。

社会や親に社会に適応することと欲望を断念することばかかりを褒められると、

断念し我慢することが賞賛を得、自己愛になるメカニズムが出来ていきます。

特に子どもの時代は、親の承認したものが善、親が不承認したものは悪になります。

これは不健康な自己愛を教えていくことになります。

これを健康な自己愛に変えるのが『オールOK』です。

           インテグレーター(精神分析家) 登張豊実

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2014年3月 4日 (火)

分析家の独り言 514(家族の機能)

家族の機能とは、一つには「新しい生命の養育」、それは「社会成員の補充」に関わります。
社会を構成し支える社会構成員が必要です。
家族を持たないということは、社会構成員の補充に関わらないということになり、
今の少子化の問題もここに関わることです。
次に「社会化」のための教育、そして「情緒的・文化的人間の創造」です。
情緒的人間育成の場が家庭、家族ということです。
情緒的人間に育てるためにまず家庭内において愛着・愛情対象をしっかり学習することです。
社会に適応することも大事ですが、ただ適応すればいいというだけでなく、
人間的情を持った、文化的情緒的人間を育てることです。
愛着を通してし情緒を学びます。
愛着対象をしっかり学習しておかないと、愛着ということがわからず
いろいろな人と関係を結ぶことが出来無くなります。
すると、対人関係が希薄で友達は少なく、孤立してしまいます。
人が苦手、人が嫌い、人が恐い=対人恐怖ということにもなります。
子どもにとっての最初の対象である母といかに愛着を学ぶかです。
それには24時間体制で母親が育てることです。
母親が子どもに愛着を示し、それに応えるように子どもが母に愛着行動をしてきます。
それはまとわりついたり、身体的接触を求めたり、分離に抵抗を示すなどといった行為になります。
ここで母親自身が、その母との間で愛着を学習していないと、
子どもの愛着行動が疎ましく煩わいく思い、子どもを排除し拒否してしまいます。
そうした子どもは愛着を知らずに育ち、人や物にも愛着が持てず、愛着障害となります。
当然人を大事にしませんし、物も大事に出来ません。
母との関係で愛着を学べば、そこから周りの友達や親戚、地域の人達へと広げていくことが出来ます。
子どもを育てる中で、人間的情を教えることは手間暇のかかることです。
人を一人育て、社会に送りだすことは大変なことです。
親子関係、特に母親が教えるのは「情」です。
この「情」にばかり流されると欠落する「知」を補うのが父の役目です。
家庭とはこれら養育と教育の場です。
育てることと教えること=教育は家庭で行われることです。
学校は知識を修得し訓練の場ということになります。
家庭、家族の機能・役割が衰弱いしてきているのではないかと思います。
私自身、育った家族にこのような機能と役割を感じたことはなく、
後に精神分析理論を勉強して知りました。
経験したことと、理論・真理のギャップに驚きました。
クライアントに講座で話しながら、知ることの大切さを今も痛感しています。
    -3月1日、インテグレーター養成講座 家族Ⅰ 《家族システム》より- No.2
          インテグレーター(精神分析家) 登張豊実
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2014年2月24日 (月)

分析家の独り言 512(浅田選手よく気持ちを切り替えました)

ソチオリンピック、フィギュアスケート女子シングル日本代表浅田真央選手。
ショートプログラムで16位と出遅れ、
フリーではトリプルアクセルなど6種類のジャンプに挑戦し、自己ベストを更新し、
6位入賞を果たした。        (ネット上の記事より引用)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浅田選手がショートプログラムで16位と聞いた時は、どうしたのだろうと思いました。
精神的コンディション、体調管理等大変でしょうが、これまでも大舞台を踏んできた浅田選手、
何かあったのかと心配しました。
次の日のフリーでの演技がどうなるのかと思いましたが、あけてみれば6位入賞。
よく気持ちを切り替えて自己ベストを更新しました。
素晴らしいです。
この気持ちの切り替え、意識のスイッチを切り替えるのは難しいことです。
例えばご主人達は、仕事の悩みや失敗を家庭に持ち込む事があります。
社会人としての自分と、家庭での夫または父としての自分を切り替えられず引きずってしまいます。
またプライベートで心配事や困り事があると、仕事に影響が出たりします。
精神分析という仕事でクライアントと向き合う時は、そいうった自分に関することは
スイッチOFFにしておかないと、クライアントの無意識がみえません。
自分のコンプレックスの言葉を止めて聞かず、真理の言葉に従うというのも、
切り替えが必要です。
インテグレーター(分析家)はこの意識のスイッチを付けていなければなりません。
スイッチがなければONもOFFも出来ないのですから。
http://lacan-msl.com/diary3/2013/11/-479.html分析家の独り言 479(意識のスイッチを入れ事故を防ぐ)
で書きましたが、言葉にして「~する」と言うことで切り替えます。
そこにはしっかりとした意志が必要です。
マイナスと引きずったり、積み上げたものを崩してしまったりとネガティブに傾いてしまうことは簡単ですが、
それを立て直してプラスに向く精神力の強さを浅田選手に見せてもらいました。
あの若さで大したものです。
見習いたいと思いました。
また、フリーの当日練習に遅れてきた浅田選手に佐藤コーチが厳しい言葉と共に、
「何かあったら先生が助けに行くよ」という言葉をかけたと聞きました。
言には力があります。
言葉が人を動かします。
精神分析も言葉を使ってクライアントに変化と成長をもたらします。
クライアントに寄り添いながら、クライアントを活かすための言葉を探して語りかけます。
浅田選手佐藤コーチに勇気と感動をありがとうと言いたいです。
                  インテグレーター(精神分析家) 登張豊実
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2014年1月11日 (土)

分析家の独り言 494 ( クライアントとの交流を通して思うこと )

分析時間以外にクライアントから、メールや電話が入ることがあります。
内容は様々ですが、自分なりに考え気付いたことであったり、
分析で感じたことであったり、
例えば、仕事が決まっったとか、何かを始めたとか良い報告だったり、
困ったことの報告もあったり、
時には、落胆した声で電話をかけてかけてこられることもあります。
日常いろいろなことが起きます。
人は良い事でも悪い事でも、何げない事でも聴いて欲しい話したいと思うことがあります。
子どもであれば、それは母や父ということになるでしょうが。
インテグレーター(分析家)は、クライアントにとって親のようにもなります。
良い報告がきけると、「よかったなぁ」と嬉しくなったり、ホッとしたり、
マイナスの報告には、心配したり、「頑張れ」と心の中で励ましたりします。
クライアントの年齢性別を問わず、そういったことを通して何か温かいものや
人間らしい交流を感じます。
この仕事をしていてよかったと思う時です。
私もそうして支えられてここまできたんだなぁと思います。
全く自分というものを持たなかった私が、今はクライアントを支えるようになりました。
そして、クライアント達がまた人支えるようになります。
こういったプラスの連鎖をつくれたら、この世界はもっと生きやすくなるだろうと、
そしてそうなることを願い、精神分析という仕事をしていきます。
クライアントとの関わりを通して鍛えられたり、教えられてきた私がいます。
厳しく自分というものが問われます。( これについては、また別の機会に詳しく書きます。)
      インテグレーター(精神分析家) 登張豊実
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2011年6月28日 (火)

金谷氏今月のメッセージ (平成23年6月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

テーマ 質素倹約

 「武士の家計簿」と言う映画がある。

 これは、磯田道史氏の著書「武士の家計簿」〔加賀藩御算用者〕の幕末維新を映画化したものである。当時40万世帯の武士がいた。

その武士が、日常の出納を記述したものなど残す事はない。

武家が代々伝えてるものは、禄高とか知行に関するものや家計図などが多くを占める。

その中で一世帯の入払帳〔家計簿〕36年分にも及ぶ「金澤藩主猪山家文書」と言うものがあった。

これには、本当に細かな出費まできっちりと記述されていた。

その金銭の出入りから、当時の武士の生活が垣間見る事が出来るほどと磯田氏は語っている。

 例えば、彼岸の日は支出として小豆・きな粉・もち米・花代といった事が記述されている。

そこから猪山家の日常が浮かんでくる。当時の下級武士の生活状態が如何なるものであったかが解る。

加賀といえば、今でも100万石と言われるほど大藩だった。藩の財政を管理する会計の役割御算用人を150人も設けていた。

その中の一人である主人公は、猪山直之と言う人物であるが会計の能力に優れ、几帳面な性格であった。さしてこれを取り立てて言うほどの事ではないが、その彼が英断をしたことと、子供にそれを教育した事に注目したい。男とは・父親とはをよく表している。

まず、息子成之に対し10才にしてお金を持たせて買い物をさせ、支払いを実際にやらせる。そしてそれを入払帳に付けさせる事を教える。言葉と行動において教育をしていく。

 父子で月締めをした時のこと、不足金が出てしまう。
父直之は息子に足りないお金はどうするのかと尋ねる。息子は「叔父に借りれば良い、来月分を使えばよい」と借金をする案を出す。

父は「そうすることで借金が増えていくので、何の解決にもならない」といい聞かせる。そこで息子が答える「倹約すればよい」と。

事実息子はとてもすばらしい英断をする。

現代感覚で換算した数字があるのでそれを使って説明すると、年収は直之の父の収入と直之自身の収入を合わせて、猪山家は年収1230万位、それに対し借金は倍の2400万である。

これを直之は、猪山家の財産を売り払い借金返済をしたのである。

祖母・父・母それに我妻の嫁入り道具までも手放し、家族全員が協力をし返済しきったのである。財産売却は約1025万だった。

 当時は、債権や債務の放棄を命じる徳政令が発せられる為、武士は当たり前に借金を踏み倒す事ができた時代でもあったにも関わらず、借金をきれいに返済し、その上にまだ倹約も必要だった。

使用人は身分に見合った人数を雇う決まりごとの為、解雇はしない。中でも武家の世界でもっとも重んじられていた、季節ごとの行事・しきたり・親戚づきあい・子供の通過儀礼はきちっと行っている。

だが武士のプライドなど捨てて・子孫に借金を残さない事を決断したのである。

そして子供には借金をしない事を考えさせ、教育していた。

映画の中でこんなシーン

ある日、その日の締めをしたときお金が足りない事があった。昼間息子成之が支払いした時に、お金を落とし道にばら撒いた為、遺失してしまったからである。

それを自分の責任で処理する様に言う。そこで内緒で祖母に穴埋めしてもらう。父に問われ「道で拾った」とうそをついた。

父からは「藩主様から俸禄を頂いて生活するのは、武士の習いである。拾ったお金で生活するのは、物乞いと同じ。そのお金は基に戻してきなさい」といわれ、くらい夜道を一人で行かせられる・・・・・・母には胸が痛いシーンである。

 武士のプライドと武士とはどう生きるのか、という事を厳しく教え込んだ父。

堂々と借金を家財を売り返済する事は、何も恥ずかしい事ではない。ここにはプライドはない。

武士とは、俸禄を頂いてる分、藩の為に役目を果たす。そしてお役に立つ事こそ武士の誇りプライドである。

そこで頂いた俸禄は大切に使う。一銭たりとも無駄に使ってはならない。猪山直之は家もそうであるが、藩の中でも変わらず同じ様に倹約に努めた人物である。

 時代が変わるにつれ、御算用場の役割を重要かつ変化していった。兵を動かせば、それによる消費する物質や食料の計算が要る。大砲の鋳造にも強度や飛距離の割り出す複雑な計算もしなければならない。

息子・成之は父より英才教育を受けただけあり、11歳から御算用場の見習いとして出仕し、20才の時には藩の重要な職務に付いていた。

さらには、大村益次郎に見込まれ新政府軍の「軍務官会計方」に抜擢され役に立つ人材にまでなった。

国の財政管理すること家計の管理にしかりである。

父親は自分の役割を自覚しその職務を忠実に全うし、それを子孫にしっかりと伝えて行く。子孫にはマイナスなもの特に借金などは残さない。母親はそのような父親・主人に付いて行き、一大事には一緒に協力していく事である。

 今の世の中も同じ、常に必要とされる存在になる為にはどの様な考え行動をしていけば良いのかという事を「武士の家計簿」から学ぶべきものは多いし学んでほしい。

                      真理攫取


http://www.k5.dion.ne.jp/~kanaya/index.htm金谷精神療法研究所

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2010年8月 1日 (日)

分析家の独り言 378 (大阪2幼児放置死体遺棄事件)

大阪市西区のマンションの一室で、腐敗した幼い男児と女児の遺体が見つかった。
警察は30日午後、母親の風俗店従業員・下村早苗容疑者(23)を死体遺棄の疑いで逮捕した。

下村容疑者は「自分の時間が欲しかった。」
「風呂に入れたりすることが嫌になって、子供なんていなかったらよかったと思うようになった」
「ごはんや水も与えなければ、小さい子供は生きていくことはできないことはわかっていた」などと容疑を認めている。

下村容疑者は3姉妹の長女。
中学時代、非行に走り髪を茶色に染め、夜の街を徘徊(はいかい)した。
高校ラグビーの指導者として有名な父親(49)は、専修学校のラグビー部監督を務める知人の教諭に娘を託した。
下村容疑者は中学卒業後、この教諭の母親の家に下宿した。
卒業まで3年間、教諭のクラスで学び、放課後はラグビー部員の世話に汗を流した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思春期に非行に走る子どもに、なぜ親は直接関わらないのか。

この事件の下村早苗容疑者も、父親がラグビー部監督を務める知人の教諭に娘を託したとある。

また、母親はどう対応したのだろう。

子どもが非行に走り、親が手に負えないと自立支援施設に入れるケースがある。

残念ながらこれも、子どもを見捨てた事になる。

産んだ責任、産ませた責任において、親は子どもと向きあう事が大事である。

それを人任せにしてはいけない。

下村容疑者も、父親の知人の教諭に預けられ、高等専修学校で更生し、ラグビー部のマネジャーとして活躍していた。

卒業後は就職・結婚と順調に歩んでいたようにみえたという。

しかし、それは表面上のことではないか。

非行に走り、荒れなければならなかった彼女の心の闇が、人に託し預けたことで解消されたとは思えない。

どんなに子どもが荒れても親が抱え、時間はかかっても世話をし愛情をかけ育て直す。

彼女は「子供なんていなかったらよかったと思うようになった」と言っている。

非行に走った娘を、親は手に負えず、非行の娘などいなかったらよかったと思うことはなかっただろうか。

彼女が、自分の存在を大事にされ、必要とされたなら、自分の子どもを「いなかったらよかった」とは思わなかっただろう。

人は、自分が見られたように他者を見る。

彼女が自分の子どもに向けるまなざしは、彼女の親が彼女に向けたまなざしに重なる。

また、彼女はホストクラブにはまり、子どもを放って行っていたようだ。

ホストクラブは、お金さえ出せば、客である彼女を女王様のように大事に扱ってくれる。

これまで、そんな扱いを受けた事のなかった彼女がはまっていっただろうと想像出来る。

子ども時代に親から大事に扱われ満足していれば、風俗で働き、ホストクラブへ行くこともなかっただろう。


私も子どもの非行の問題で相談を受ける。

当然子どもへの対応法、『オールOK子育て法』をお話する。

最初は迷いながらも、疑問を持ちながらも、お母さんはお父さんの協力を得て子どもに『オールOK』をしていく。

すると、子どもによい変化が見える。

そうして、一生懸命対応している親御さん達がいる。


その一例を実際に非行の息子に対応したクライアントの協力を得て http://lacan-msl.com/hikou/ 非行・家庭内暴力に悩む方々へのページ
で紹介している。


亡くなられた二人の子どもさんのご冥福を心よりお祈りいたします。


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http://mama.lacan-msl.com/ オールOK!子育て法のページ

http://lacan-msl.com/abuse/ 虐待 月刊 精神分析 2010年06月号

2010年5月14日 (金)

分析家の独り言 353 (言葉:迷子)

あるニュース番組で見た、潮干狩に来ていた父親と4~5歳の幼児。

父親は出かける前、その子に「迷子センターに行かないでね」と言った。

それは、「勝手に動きまわって迷子になり、迷子センターに行くような事にならないように気をつけて」という意味だろう。

ところが、子どもは迷子になった。

海の監視員が迷子センターに連れて行こうとしたが、その子は頑としてそれを拒んだ。

「迷子センターに行かないでね」と言った父の言葉通り、迷子センターに行ってはいけないと思ったのだ。

監視員は迷子センターに行くのを嫌がる子どもを説得し、連れて行くことが出来た。

そして迷子の放送をして、迎えに来た父親に子どもを引き渡すことが出来た。

言葉は大事。

幼い子どもが親に「迷子センターに行かないでね」と言われれば、「迷子センターに行ってはいけないんだ」と思う。

この子は父親の言いつけを守ろうとした良い子だ。

お父さん、しっかり子どもに話しましょう。

言葉を端折りすぎて、それでは子どもに伝わらない。

「迷子センターに行かないでね」の意味がしっかり伝わっていない。

ラカンは、「人は誤解から始まる」という。

人と人が理解しあうことは、そう簡単ではない。

だからこそ、まず自分の周りの大事な人達としっかり意志の疎通をはかりたいものである。


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http://lacan-msl.com/mailmaga/ メルマガ:子育て相談室便り

2009年10月19日 (月)

今週のメッセージ(平成21年9月分)

http://mama.lacan-msl.com/オールOK!子育て法に掲載した、「今週のメッセージ」9月の過去ログです。

子どもへのオールOKにより母親は自分をみる(平成21年09月21日)

親の子どもへの想いは伝わる。
良い想いはいいが、どこか可愛く思えない、やりにくい、苦手という想いが後に何らかの問題として子どもにあわられる。
そこにこそ、親の無意識・コンプレックスがある。
オールOKしようとしていくときに、同時にそのことにも触れる。
そのことが母親をも変容させ成長させる。

子どもが大事にされたと感じること(平成21年09月11日)

オールOKすることで、子どもは自分が大事にされていると感じる。
そう子どもに感じさせることが大事である。
子どもに関心と配慮を向け、要求に応え続ける。
この環境の中で子どもは息を吹き返し、動き始め成長する。
多くは母親自身にその親からそういったことをされていないため、大変なことである。
それでも分析を通して自分を知りつつ、欠けながらもやり続ける。
この継続と一貫性が、必ず実を結ぶ。
そして親に大事にされたと感じた子どもは、人を大事に出来る。

母との一体感(平成21年09月01日)

子どもは常に母との一体感を求める。
しかし、母親の側にその母との一体化の経験がないと、子どものそれが受け入れられない。
身体的一体感は子どもにとって、抱っこでありスキンシップである。
精神的には同意。
「そうだね」という言葉。
これを言われるだけでも子どもは安心するだろう。

宣照真理(天海有輝)

過去の今週のメッセージは、http://lacan-msl.com/diary2/宣照真理のセラピー日記と
http://diary.lacan-msl.com/天海有輝のセラピー日記 分析家の独り言に掲載しています。

2009年8月17日 (月)

分析家の独り言(感情を取り戻し人間として生き返る)

健康な精神のためには、怒りたいときに怒り、泣きたいときに泣き、悲しいときに悲しむというように感情を出すことである。

これを子ども時代から経験し、最初は母親とその感情を共有する=共感する。

ところが多くのクライアントは言う、「泣いてはいけない気がした」「感情をだすことに抵抗がある」「自分の感情に自身がない」「自分に感情がない気がする」などと。

これでは、自分の感じた怒り・悲しみ・憎しみ・喜びなどの感情を自分のものとして肯定し、感情豊かに過ごすことはできない。

自分は冷たい人間かと思う。

感情を出すには、その感情を受け取ってくれる人がいるから出せる。

例えばつまづいて膝を擦りむいたときに、子どもは痛くて泣く。

そのときに「ああ痛かったのね」「大丈夫?」よしよしとされれば、痛くて泣いている自分の感じ方はOKとなる。

しかし、「痛くない、痛くない」「それくらい大したことじゃない」と言われてしまうと、私が今感じている痛みは痛みじゃないの、と?(ハテナ)がつく。

だんだん自分の感じ方の自信がなくなっていく、自分自身にも自信がなくなる。

言葉で自分の思うこと、考えを伝えることが出来ず、溜めに溜めて最後に泣くしかなくなる。

しかし、この精一杯の表現も「泣くな」のひと言で切られることがある。

こうなったらもう泣くことも出来ず、感情のないロボットのように生きていくしかないだろう。

私の子ども時代を思い出した。

母は教師で、私が目を覚ますとすでに母は仕事に出かけていなかった。

母のいない昼間は、一緒に住んでいた祖母と過ごした。

幼稚園に行く前頃だったろうか、母を思い出し寂しくなって母が着ていた服を抱きしめて、母の残り香を嗅ぎながら一人で泣いた。

そのとき私は泣いている自分を見られてはいけないと思った。

それは記憶にはないが、多分まだ小さかった私は、母を思い出して泣くことがあったのだろう。

それを見た祖母か、祖父か、それともそれを聞いた母かが、「泣くな」と言ったのだろう。

泣くなと言われても寂しい気持ちは抑えられず、見られないように一人こっそり泣いていたのだろう。

寂しい、母にずっとそばに居て欲しい、これが小さい私の願いだった。

しかし、忙しく働く母にそのことを言った覚えは無い。

寂しい気持ちも、母と一緒にいたい気持ちも小さな胸にしまい、封印していった。

そして私も感情のない冷たい人間になっていた。

私にとって分析は、感情のないロボットから血の通った感情をもった人間になることが治療目標の一つであった。

今クライアントたちの叫びが私に昔の私を思い出させ、「ああ、それは私だと」いえる。

分析は、情動とともに過去を語り、感情を再現し、もう一度人間として生き返る場である。

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